パワーハウスの歴史 その1 - MEGA POWER -



パワーハウスの歴史 その1 1984年から2001年まで

1. はじまり

はじまり1975年にウェートトレーニングを始めた吉田進は、当時日本でパワーリフティングが最強だった「アスレチック関」の会員でした。吉田寿子も1年ほど遅れて会員となりました。
二人ともトレーニングを開始して3年あまりで全日本チャンピオンになれたのは、今から比べると競技人口が少なかったこともあったでしょう。パワーリフティングのノウハウがほとんど無かったこともあったでしょう。

凝り性の吉田進は米国のトレーニングに関する資料をむさぼるように読んで勉強していき、自分たちのトレーニングが出来る場が欲しくなりました。こうして1984年、府中市のマンションの地下、10坪の部屋で「パワーハウス・ウェートトレーニングクラブ」がスターとしました。最初は二人だけのトレーニング場だったのです。


2. 社会人のクラブ活動

社会人のクラブ活動 その1まもなく、噂を聞きつけて一人二人と仲間が増えていきました。八巻、水越など後に全日本で活躍する選手が最初の頃の会員です。さらに、会員はゆっくりと増え続け、近藤、上野など今でもパワーハウスで頑張っている会員もこのころ入会しました。このころのパワーハウスの特徴は、なぜか集合写真を撮るとみんな裸になってポーズを取ること。そのポーズのへたくそなこと。

社会人のクラブ活動 その2もちろんパワーリフティングで記録を伸ばすことが最大の目標でしたが、いろんな事もしました。夏は海水浴、冬はスキー旅行。このころ綱引きがスポーツとして認められつつあったのですが、パワーハウスで綱引きも頑張りました。でもスタミナ切れで、東京選手権で上位8位が限界でした。でも、学生時代の「クラブ活動」が社会人になっても出来るのだと言うことをみんなで実感していました。みんなファミリーのように仲良くトレーニングを中心に、クラブライフを楽しんでいました。


3. 大会

大会 その11984年のパワーハウススタートの年、吉田進も吉田寿子も全日本を征しました。足りないものは、おなじ全日本の舞台で活躍できる仲間たちでした。みんなで強くなろうと言うことで、頑張った最初の成果が、1985年の全日本実業団でした。このころはジム単位でも実業団に参加できたのです。吉田進は沖縄の全日本でバーベルを足の上に落とし全治3ヶ月の重傷で、この大会は監督としての参加。そのかわりみんなが頑張ってくれて、何と団体優勝。(次の年からジムは実業団に参加できなくなりました)。これをきっかけに様々な大会で、団体優勝にパワーハウスの名前が轟き始めました。

大会 その2カメラが向くだけで自然にポーズを取ってしまう癖は、どんどんエスカレートし、このころは大会が終了すると京王線の分倍河原駅の改札の前で、人目もはばからず派手にポーズを取ることがクセになっていました。京王線の駅長さん、申し訳ありませんでした。


4. パワーリフティングのことならパワーハウス

パワーリフティングのことならパワーハウス その11980年代の後半ともなると、パワーハウスの名前は少なくともパワーリフティング界では有名になっていました。月刊ボディビル誌に吉田進の連載が複数掲載され、大会のレポートもたくさん掲載されるようになりました。「パワーリフティングの事なら何でも聞いてくれ」というパワーリフティングの専門店としてのパワーハウスの基本がほぼ確立してきた頃です。

パワーリフティングのことならパワーハウス その2吉田進自身のパワーリフティングの記録もこのころが一番充実していました。その後、教えることにエネルギーを注ぎすぎたのか、90年代に入ると記録は、残念ながら低迷しました。


5. 世界記録と世界チャンピオン

世界記録と世界チャンピオン その1吉田寿子の方は1981年に一度44kg級のスクワットで世界記録を出したことがありましたが、パワーハウスを設立してからは西尾慶子が先に世界記録をマークしました。先天性股関節脱臼だった西尾が世界記録を出すまでになったことはまさに驚きでした。

世界記録と世界チャンピオン その2後に「アンビリーバボー」でテレビ放映され大きな反響がありました。吉田寿子は世界選手権で3回の悔しい2位をへて、1988年ついに世界の頂点に立ちました。これがきっかけで、フォーカスや様々なメディアに登場しました。


6. 広がる仲間

広がる仲間 その1その後、パワーハウスでトレーニングしていた人のうち何人かが、故郷に帰り、自分のジムを持つようになりました。
秋田の伊藤和弘さんは「パワージム・ウィン」を、池田貴彦さんは愛媛!に「パワーハウス・フレンド」を、瀬尾桂一さんは茨城に「パワーハウスつくば」を、鹿児島の谷岡一さんは「ビッグパワー」を開設して、皆さん頑張っています。

広がる仲間 その2ジムを持たないまでも、パワーハウスでトレーニングを経験した人が全国でトレーニングしています。大会で、お会いできるのは今でも楽しみです。
パワーリフティングが好きなタレントも何人かパワーハウスでトレーニングしました。チャック・ウイルソンさんも大きな大会前はパワーハウスでトレーニングしました。なべやかんもパワーハウスが生んだチャンピオンです。


7. 次の世代へ

次の世代へ その190年代、次の世代が育ち始めた時期でもあります。
三土手大介が入会したのも90年代初期です。間違いなく強くなると確信しましたが、世界一にまでなるまでの努力はたいした物です。
体が固くてどうしようもないと思われた立花浩二がデッドリフトで日本最強になるのは時間の問題でしょう。なべやかんも世界のメダルがもう目の前です。18年かかって近藤好和が全日本チャンピオンになりました。平櫛雄司もしぶとく全日本チャンピオンの座を守っています。近藤、小岩井、小早川、荒川兄弟、岸本、福島夫妻ほか溢れる才能がそろっています。

私、吉田進としては、世界女子、世界男子、ワールドゲームズという3大大会の日本開催に大きく関われましたし、ここいらで、今までのパワーリフティング一辺倒の生活を見直す頃かもしれないと思っています。次の世代が育っているわけですから。

次の世代へ その2ということでパワーハウスの器具、メンバーを三土手大介に譲りました。新しいジムの名前はノーリミッツ。吉田進と吉田寿子はしばらくお休みです。でも、パワーリフティングをやめてしまったわけではありません。又活動を開始するつもりです。

ではその時まで。

2002年1月 吉田 進

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