パワーハウスの歴史 その2 - MEGA POWER -



パワーハウスの歴史 その2 2002年から2009年まで

1. 2002年10月、約1年ぶりの再開

約1年ぶりの再開第一期のパワーハウスは2002年1月にて営業を終了しました。
吉田進はそれからしばらくゴルフなんぞに打ち込んでみましたが、100を切るのが精一杯。ストレスばかり溜まりあんまり面白くないです。
吉田寿子はスカッシュがんばりましたが、1勝も出来ず。
そうこうする内に「トレーニングの本拠地がないととても不便。トレーニングする仲間がいないと全然楽しくない。」と言うことに改めて気がつきました。
夏ごろから準備を始め2002年10月に東府中にて「パワーハウス・ウェイトトレーニングクラブ」を再開しました。吉田進は2001年のワールドゲームズ秋田大会の実行委員をやっていた頃(2001年7月)からほとんどトレーニングをやっていませんでした。再オープンしてからはほとんど毎日ジムに顔を出すようになりました。

2. 再開時のコンセプト

  1. 初心者がどんどん強くなるジム
  2. 指導者を育てるジム
  3. パワーリフティングを理論的に学べるジム

ジムは今までとは違い2階建て。1階はヘビーな本格的トレーニングのできる場所、2階はストレッチと軽いトレーニングが気軽に出来るフィットネススペースとしてオープンしました。
でも、パワーハウスには気楽なトレーニングと言う言葉は似つかわしくなかったのか、一般フィットネス会員はほとんど集まりませんでした。

3. 初心者が羽ばたくジム

初心者は本当によく伸びました。パワーリフティングでは、まったくの初心者からあっという間に成長しました。ジュニア日本チャンピオンが誕生したり、ジム入会後1年で全日本選手権に出場する選手が生まれました。
パワーハウスは再びパワーリフティングで熱気溢れるジムになっていきました。
全く無名のパワーリフティング愛好者が、あっという間に一流の仲間入りをするというところになりました。

4. 世界記録・世界チャンピオン

世界記録・世界チャンピオン第二期のスタート時には第一期にパワーハウスで選手として活躍していた福島夫妻にコーチとしてきてもらいました。奥さんはパワーハウスで順調に記録を伸ばし日本女性3人目の世界チャンピオンになりました。
ベンチプレスでは男子60kg級の松本選手があっという間に世界レベルとなり、世界記録達成と、全日本チャンピオンをゲット。
女性ベンチプレッサー白川さんも世界チャンピオンに。
こうして、再開後3,4年でパワーリフティングもベンチプレスも世界的な選手を輩出するまで、再び力をつけてきました。全日本ベンチでは男女共に団体優勝をゲットしました。


5. 野田コーチ就職

野田コーチ就職F夫妻が去ってから、しばらくコーチ不在となりました。
その後ベンチプレスのスペシャリスト野田選手がコーチとして正式にパワーハウスに就職。野田選手の懇切丁寧な指導でベンチプレスは更にレベルを上げていきました。
ジムと言うのは人の出入りはどうしてもあるもの。一時トップレベルベンチプレッサーが減少した時期もありましたが、また新しい力が伸びてきました。
野田コーチも実力をどんどん伸ばし、日本チャンピオン、世界チャンピオンとトップの座を極め、現在世界記録保持者となっています。

6. 極真空手

第2期を語るにあたって極真空手のことは外せません。極真の城西支部の山田さん、阿曾さんとのつながりで、パワーハウスの2階では、週に2日、空手道場をスタートしてもらいました。
理由は、2階でいろんな健康のための教室をやろうと思ったのですが、余り集客できませんでした。パワーハウスはハードコアなジムとしての名前と雰囲気だったので、「健康のために」という方々があまり集まらなかったのです。
極真空手も道場を東府中で開くことも新しい挑戦だったようですが、徐々に人が集まり、現在では特に少年部が大人気になっています。この時間になると、子供たちの勇ましい掛け声が響いています。

7. ゴールドジム府中

2006年夏だったと思いますがゴールドジム東京府中が府中駅前にオープンしました。ゴールドジムは本格的にトレーニングできる大型のジムですから、地元のジムと競合関係になる場合が多いと聞いています。
府中の場合は、ゴールドジムの手塚社長と私との間で、一種の提携をしようということになりました。パワーハウスメンバーは月会費を2000円アップする提携会員制度を作り、そのカードを持っている人は1回500円でゴールドジムを使うことができます。
ゴールドジムは24時間営業です。仕事の忙しい人は深夜に利用するということもあるようです。
パワー系の人はあまり行かないようですが、ボディビルが好きな人は大いに利用しています。
その中から日本ジュニア選手権で活躍するまでにA君が育ってきたのが楽しみです。パワーハウスとゴールドジムをうまく使い分けているようです。

8. 海外へ

海外へ私吉田進は第一期の初期から海外志向を持っていました。吉田寿子の世界女子パワーリフティング挑戦は一期の初期のころから続き、1988年に世界のトップに立ちました。ちょうど同じころ、私はアジアパワーリフティング連盟の事務局長となり、アジアでのパワーの発展も考えるようになりました。その傾向は第二期でも当然続き、多くの仲間たちと、海外の大会へ参加してきました。
世界男女パワーリフティング選手権、世界ジュニアパワー、世界マスターズパワー、アジアパワー。
世界ベンチ、世界マスターズベンチ、世界ジュニアベンチ、アジアベンチーーー。
パワーハウスでは世界やアジアとの距離が近いです。
パワーハウスにいるといつの間にか、日本だけではなく世界で戦いたくなります。
そして実際に世界やアジアに挑戦し、人生の貴重な経験を積んだ選手たちがたくさん育ちました。

9. パラリンピックを目指す

パラリンピックを目指す吉田寿子はずいぶんと前から障害者のことを考えていました。シドニーパラリンピックを前にして、日本からパワーリフティングに選手を送り込もうと、吉田寿子を中心にJDPF(日本ディスエイブルパワーリフティング連盟)を結成しました。
シドニーに一人、アテネに一人、北京に一人と毎回のパラリンピックに日本から選手を送り込んでいます。
現在、吉田進が理事長、吉田寿子が事務局長で、徐々に増える仲間たちとJDPFを盛り上げています。
その影響はパワーハウスにも現れます。障害を持った選手たちがパワーリフティングを通じて、夢を持ってトレーニングを楽しんでいます。障害者用のベンチ台も完備しています。視覚障害の選手も2名トレーニングしています。2009年にはそのうち一人が世界視覚障害者大会に参加し、世界記録まで達成しました。吉田寿子がアテンドしました。
パワーハウスは障害者パワーリフティングの中心でもあるのです。

10. おやじリフターズ

おやじリフターズ吉田進も吉田寿子もマスターズ2(50歳代)に入って第二期のパワーハウスを始めたわけですが、気が付くとマスターズの仲間たちがずいぶんと増えていました。
彼らは日本のトップマスターズリフターであるだけではなく、世界タイトルもどんどん獲得しています。日本マスターズ記録保持者、世界マスターズ記録保持者もたくさんいます。パワーもベンチも世界チャンピオンがたくさんいるのです。
気が付いたら世界最強の「おやじリフターズ」がトレーニングしているジムになっていました。もちろん女性のマスターズも強いです。
マスターズの皆さんはそれぞれ人生経験も豊か。その経験とパワー、ベンチプレスの関係からマスコミに注目される方も多く、いままでに月刊誌、テレビなどで紹介された選手も沢山います。

11. 育つジュニア

じゃあ、いつの間にかパワーハウスはマスターズのクラブになってしまったのか?
いやいやとんでもない。若い人とマスターズがうまくかみ合いながらトレーニングしている場所になったのです。
一つ大声で言えるのは、若い人の伸びがとても速いこと。あっという間に全日本ジュニアレベルになり、気が付くと日本ジュニア記録やサブジュニア記録を達成し、世界で戦える選手になっています。ジムの雰囲気とフォームやトレーニング方法をはじめとする指導方がうまくかみ合っているからだと思います。
同時に50歳代、中には60歳代でも自己記録を伸ばし続けている選手が多いのもパワーハウスの特徴なのです。

12. パワーハウスグループ

パワーハウスグループ その1パワーハウスから育った方々はたくさんいます。その中から、地方でパワーハウスを開きたいという人が増えてきました。
パワーハウスグループ その2パワーハウス一期のころからあったパワーハウスつくばの瀬尾さん。最近はパワーハウス赤穂、パワーハウス神河の古城さん。そしてパワーハウス山口の福島さん。みんな別経営ですが、仲間です。
仲間が増えるといろんなことができます。2009年から合同合宿をやっています。
今後も増えていくだろう、パワーハウス。日本全国にパワーハウスの精神を広げたいです。それはパワーリフティング、ベンチプレス、トレーニングを中心とした楽しい「大人の部活」です。

13. 南コーチ就職

南コーチ就職今回、2009年の8月から場所を飛田給に移して第3期のパワーハウスが始まります。それを期に、パワーハウス赤穂の南コーチがパワーハウス(本店)に転職することが正式に決まりました。パワーハウス赤穂の古城さんも快く了解してくれました。
ベンチプレスの野田コーチ。パワーと加圧トレーニングの南コーチ。パワーハウスは盤石です。
第3期は守備範囲を広げようと思います。パワーリフティング、ベンチプレス、ボディビル、各種スポーツの強化、一般フィットネス、などなどです。
コーチ陣のパーソナルトレーニングシステムも強化しようと思います。

14. さらに進むために

パワーハウスでは第二期から「大人の部活」というコンセプトを掲げていました。
日本全体が徐々に個人主義になってきています。そういう時代だからこそ、仲間通し同じ目的で集まり、トレーニングし、語り合い、競い合う。そういうクラブ活動がますます重要になっていくと思っています。普段は個人の生活パターンを尊重しながらも、一方で複数の人との触れ合いを楽しむ。
さらに進むためにといっても強制的な行事はパワーハウスには何もありません。すべてメンバーの主体的な意思に基づいてやっています。参加したい人は参加するししたくない人はマイペース。それが新しい個人主義なのではないでしょうか?
パーティ、試合、研修会、気楽な飲み会、気楽な食事会、遠征、合同合宿―――。
ぜひバーベルを通じて皆さんの生活を豊かにしてください。
2009年8月から、飛田給で第3期に入るパワーハウス。
これからもパワーハウスはそのためにあります。

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